ラグビーの国代表にはそれぞれ愛称がつけられている。
最も有名なのはニュージーランド代表、オールブラックスの名前だろう。
そして日本代表にも愛称がある。
ブレイブブロッサムズという名だ。
日本代表、愛称遍歴
チェリーブロッサムズ

この名は日本代表ジャージの胸についている桜のエンブレムにちなんで名づけられた、ラグビー日本代表の最初の愛称。この名は海外のメディアがつけ、海外でよく発信された。
というのも、日本では「エディージャパン」「ジョセフジャパン」といった、「〇〇ジャパン」と代表チームを呼ぶことが多いので、海外で主に愛称として使われていたのだろう。
ちなみに「〇〇ジャパン」という愛称が日本で最初に名付けられたのは、ラグビー。
1968年に日本代表がオールブラックスジュニアに勝った時の大西監督の存在感が大きかったため「大西ジャパン」と呼ばれたことが始まり。
チェリーブラックス

これは日本代表の愛称というよりラグビー強豪国に馬鹿にされていた時の呼び名だ。
日本代表にはオールブラックスで一線級の活躍をしていた選手が、年を取って力が落ちてき始めたときに日本代表に加入してきていて、外国出身の選手が増えてきていた。
外国出身の選手がいることはルール上問題ない上、他の国の代表チームにも当然外国出身の選手はいたため、外国人が多いことを馬鹿にされていたわけではない。
日本代表はワールドカップで勝利を挙げることができない且つ、試合内容もつまらないと思われていたため日本人以外が多いことを馬鹿にされていたのだ。
ブレイブ・ブロッサムズ

チェリーブラックスと馬鹿にされることもあった日本代表が世界を驚かせることとなったのは2003年にオーストラリアで行われたワールドカップ。
第一戦のスコットランド戦で日本代表をブレイブ・ブロッサムズ(勇敢な桜の戦士)と呼ぶ新聞が現れた。
11-32で敗れたものの、日本代表は前半から徹底的に低く激しいタックルで相手を止め、後半途中までは4点差の戦いを繰り広げた。日本は勝ちを狙いに行ったアタックで立て続けにミスを犯してしまい、トライを奪われ敗れたものの、その懸命な姿を、日本代表が長期合宿をしていたタウンズビルの地元住民、地元紙を中心に称賛した。
そしてその地元紙の新聞の見出しとして、ブレイブ・ブロッサムズという愛称がつけられたのだ。
その後も日本代表は、2007ワールドカップではフィジーと死闘を繰り広げ、2011ワールドカップではフランスと好勝負、2015ワールドカップでは南アフリカを倒しグループリーグ3勝をあげるという、名勝負を繰り返したことでブレイブ・ブロッサムズという名前が定着した。
まとめ

日本代表が2019ワールドカップで歴史的な勝利を重ねるまでには長く苦しい歴史があった。ただそんな中で必死に戦ってきた選手やスタッフがいたため今の日本代表がある。愛称をたどるだけでもそんな歴史が見えてくる。
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